にゃーと鳴くもの全て猫とは限らない

コラムみたいなものを書いています。自分探し中な女子大生。

自殺した天才ー没後20年を記念してー

こんにちは、猫です。

今回はちょっと暗めの自殺した天才に関して調べたこと、自分が感じたことについて書きます。近年の自殺事情と、自殺によって亡くなった天才についてが今回の記事になります。

え?自殺?なんて不謹慎な、ってそこのアナタ。私たち人間として生きている上で生死に関することで全く関係ないことなんてないんですよ、悲しいことに...。

 

あなたの大事な家族、友人、もしかしたらあなた自身に起こりうる可能性は0ではありません。そんな自殺を通して“天才だった彼女”関してまとめていこうと思います。

 

前提として自殺する人は増えてるの?

  

f:id:woainy45:20190713225651j:plain

そもそも自殺って減っているの?増えているの?

どちらなのか気になってしまうかもしれません。これに関しては厚生労働省が毎年、自殺に関する統計を出しています。

 

 

www.mhlw.go.jp

 

  こちらには平成30年から平成16年までが年別に統計として出ています。

f:id:woainy45:20190713235551p:plain

引用:https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

 

こちらの統計を見ると自殺者は年々減っています。

自殺してしまう人が減ることはいいことだと思います。しかし年々うつ病になってしまったり、精神疾患を患ってしまう人は増えている気がします。これらが全て自殺直結してしまう訳ではありませんが、自殺に関わる要因を抱えている人は増えているのが現状です。

 

ちなみに一年で一番自殺者が多いのは3月です。年度末だからでしょうか。

これは過去5年間、ずっとです。

 

次に1999年の3月に亡くなった天才について書いていこうと思います。 

 

自殺したネットアイドル南条あやについて

 

 

死にゆく若者の中で、私は生きづらさを綴ったブログを遺しているインターネット黎明期のネットアイドル南条あやについて書こうと思います。

 

 

南条あやとは

 

南条 あや(なんじょう あや、1980年8月13日 - 1999年3月30日)は、東京都世田谷区出身のメンタルヘルスネットアイドルフリーライター。本名、鈴木 純(すずき じゅん)。成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)卒。

 

 引用:南条あや - Wikipedia

 

 彼女は1990年代にネット上でメンタルヘルス系のブログを書いていた女子高生です。

猫が生まれた年(1998年)にブログで一躍有名になっていたみたいです。

 

 南条あやはハンドルネーム、この名前でネット上で活動していました。本名は鈴木純さん。女子高校生でした。東京の都心の女子校に通っていました。住んでいたのも東京都・世田谷区、東京の中でも都心です。

 

まず、彼女は普通の人とは違っていました。(そもそも普通って何なのでしょうか?そこはまた違う記事で定義したいと思います。)

 

 南条あやは幼少期に両親が離婚。一時期母に引き取られたが、母親の再婚に伴い父親に引き取られ亡くなるまで一緒に生活していたことがブログからもわかります。小学生の頃にいじめに遭っていました。中学生の頃からリストカットをはじめ、高校生の頃には常習犯になっていたそうです。高校の担任の先生の進めで精神科に通院。いつしか精神病薬への興味から関連する掲示板にたどり着き、「GON!」という雑誌の薬事ライターであった町田あかね氏から才能を買われ、ブログを町田氏のサイト内で開設していました。

 

当時は雑誌に薬事ライターなんていうのが存在したのがすごいです。

今の時代は情報収拾が容易になり、メンタルヘルス系の情報発信者への偏見も強まったように感じます。インターネットがまだそこまで普及していなかったあの頃はもっと精神病などに寛容だったのかもしれません。

 

 

ブログ「南条あや保護室」について

 

web.archive.org

 

これが私が彼女を天才と呼ぶ大きな理由の一つ、ブログです。

彼女のブログは1998年から1999年に書かれたものですが、インターネットアーカイブを通して現在でも閲覧可能です。

彼女のブログの内容は日々の出来事、薬の事、父親との確執などについてです。今の時代ならTwitterなどで愚痴をこぼしたり、日常の一部を切り取って彼女もつぶやいていたのかはわかりません。

メンタルヘルス系の記事ながらも、一般的な女子高校生がしがちなダイエットなどもしていたことがブログからわかります。

 

彼女のブログのブログは当時人気でした。

そして今もなお、メンタルヘルス界隈では名を馳せています!

 

その理由として内容と文体のギャップがその一つに挙げられます。彼女の日常は決して明るいものではない中で、ポップな文体が当時ウケたみたいです。

人を惹きつける文章を書いていた南条あやですが、ここで実際の文章を見てみましょう。

 

しかしこの案は寒いという環境と、帰りの車の中での渋滞が問題点として残っています。渋滞は眠剤を使ってもいらいらするモノです。はっぁ。本当にどうしよう。 やはり主治医のM先生に頼るしかないのか…。「お嬢さんはスノーボードに連れて行かれるのを嫌がっています。心理的負担になってまた自傷行為をやりかねませんから連れていかないで下さい」と、言ってもらいたい。ホントにホントに心理的負担になってるんすよ。ほんまに。
あ。ナイスアイディアを思いつきました。体重を30kg台にまで落として、主治医にあからさまに心理的負担を強調する。父もガリガリにやせ細った娘を無理してスノーボードに連れていきたいとは思わないでしょう。多分…。希望的観測…。取り敢えずこのままダイエットは続けます。

冬はやっぱり寒いから部屋に閉じこもっておくべきだ。と思うんですよね。
汝、布団を愛せよ。

 

 引用:12/04 激ラブ布団&睡眠

 

 語彙力があるからこそかけるこの文章。所々の文字に色がついているのはこれは本人のしたことではなく、亡くなってから結成されたAya's Black Children(南条あやのファンや関係者が立ち上げた組織、すでに解散している。)がメモリアルサイト化した際に加えたものらしいです。

 

 自傷行為との葛藤、生きづらさを文章の表現能力の高さでユーモアに表現し、読者に他には変えられない生を書き記しているのがファンを惹きつける要因だったと考えられます。普通「汝、布団を愛せよ。」とは出てこないですよね。

 

f:id:woainy45:20190713225901j:plain

 

また彼女はこの年の夏、精神科の閉鎖病棟に入院しています。

目的はリストカットによる貧血の治療と心のケアです。閉鎖病棟でもブログは欠かすことなく書かれています。なかなか見ることのできない閉鎖病棟の中を閉鎖病棟ルポとして別リンクで公開しています。

 

web.archive.org

web.archive.org

 

今のご時世、もちろん撮影禁止だとは思いますが、当時はよかったのでしょうか...。

南条あや閉鎖病棟で生活を文章でも写真でも遺しているのが上記の二つのリンクからわかります。

 

天才は突然いなくなった

 

1999年3月30日、南条あやは亡くなりました。

 

 死因は心臓の弁に穴が開いたことです。誰にも言わず急にではなく、彼女は親友に「これから死にに行く」と連絡を入れ、下北沢のカラオケボックスで日頃から溜め込んでいた精神科で処方された薬を大量服薬しました。

そして緊急搬送先で亡くなったのことです。彼女が日常的に繰り返していた過激なリストカットによる貧血でヘモグロビンが他人よりかなり低く普通であれば6時間程度で昏睡状態に陥り死に至るところ、南条あやは3時間程度で昏睡状態に陥り亡くなってしまったのことです。彼女の自殺現場にはもちろん誰もおらず、警察の死亡艦艇の結果は「推定自殺」になったとのことです。

 

参照:南条あやの保護室◆ご注意

 

1999年3月、それは彼女が高校を卒業した春の出来事でした。

 

彼女にとって高校を卒業することは決して喜ばしいことではなく、孤独であるという認識を強めてしまうという結果になってしまったのかもしれません。

 

彼女の死から自殺してしまう人を減らすために考えるべきこと 

  彼女が亡くなってしまった理由は一概にコレだ!と断定できるものはありません。

 

彼女は両親の離婚、小学生の頃受けたいじめ、日常生活内での父親との確執など様々のな要因が直接的にも間接的にも関係している要因が多いからです。

 

当たり前ですが、孤独、いじめ、親との不仲、それぞれにおいて生きづらさは感じることでしょう。

よくニュースできく自殺の理由は学生だといじめが多いように感じます。

 

私たちは常に自分自身をはじめ、他人の死とも常に隣り合わせであるということを常に心に留めておかなければなりません。

 

孤独もいじめも親との不仲も、自分自身にあろうとなかろうと他人が抱えているかもしれない大きな問題なのです。

 

そういう人たち全員を助けなくてはいけないとは言っていません。私たちが全知全能の神様でもない限りそれは不可能だからです。

だから私たちがもし、周りにそのような境遇の人たちがいるのであれば何かしらのサポートをするべきだと私は考えます。その方法は人の数だけあると思います。

 

私たちが考えておくべきこと、それは常に死は隣合わせでそれは他人も同じ状況であるということと支え合って生きていかなければならないということです。

 

南条あや亡くなって20年、彼女の死から学び取らなくてはならないことはまだあると思います。彼女の強く生きてきた証を彼女のブログやホームページを通して一度見てみてください。

 

何よりも南条あやさんのご冥福をお祈りしています。

 

ではまた次回の記事でお会いしましょう